知足安分。
感謝とは今あるものに気づくこと

今あるもののありがたみに気づけない人は、きっと永遠に、しあわせを感じることはない

蝉時雨
episode8

目の前にあるものが、いつまでもそこにあるとは限らない

東南アジアのその国には小学3年生から5年生まで3年間住み、帰国した。子供にとって3年という歳月はおそろしく長い。僕は小学生ながらにも日本での生活がどれだけ恵まれていたかを思い知らされた。テレビもプラモデルもゲームもないし、日本人の子供は子供だけでアパートの敷地から出ることも許されなかった。自転車で気ままに知らない道を探検することもできない。水道水が飲めるのも(アジアでは)日本だけだということもその時に初めて知った。

当たり前にあったものがなくなる。その経験は僕の脳裏に深く刻み込まれたようだった。日本に戻ってからの僕は、日本での暮らしに安堵すると同時に、失うことに極度に怯えるようになっていた。幼年期に僕を支配していた強迫観念癖が再び顔をみせはじめた。

これが最後の別れになるかもしれない。家を出る時の家族との会話や、学校帰りに仲のいい友人と別れる時などは言葉を選び、後悔がないように心掛けた。楽器や楽譜、ポスターやプラモデルなど、大切な身の回りのものにも、それがいつまでも、もとのカタチではいられないという事実に怯えた。

小学生当時に気が付いていたわけではないけれど、それらの強迫観念は、一方で感謝という概念にも似ていると思う。失うこと、傷つくことに怯えることは、同時に失わない、傷つかないことへのありがたさを痛感することでもある。その強迫観念と感謝は表裏一体だった。

 

きっと感謝とは、今あるものに気づくことなのだろう。今あるもののありがたさに気が付けない人は永遠にしあわせを感じることもない。誰もが、しあわせを求めているのなら、それに気が付けないことは人生において致命的なことかもしれない。

恋人や夫婦の関係だって、同じことが言えると思う。片想いだと思っていたものが両想いになり、恋人になる。片想いだった時はデートをすることさえ夢のようだったのに、満たされていくうちにその時の感情さえ忘れてしまう。今あるものに気づき、それに感謝し続けていくことはとてもむずかしいことなのかもしれない。

僕の脅迫観念は結局、大人になり生活に追われるまで付き纏った。感謝なのか、失うことへの怯えなのか。いずれにしても、その背中あわせの感情を痛いほどに刷り込まれたことは、僕にとってしあわせなことだったのかもしれない。後に出会う日本屈指のわがまま娘との恋愛ドラマも、その概念と感情の後押しがあったからこそ乗り越えられたのだと思う。

蝉時雨

羽化した翅のように 真夏の夜の隅で
白い素肌をさらす 生まれたての物語に… 寄せる想い

夏祭りの約束 少し遅れた私
どこかで教会の鐘が鳴ってた 蝉時雨の中

幸せすぎることが少し怖いと笑う
あなた以上に怯えてる私は お道化てみせる

夏は嫌いさ だって あなただって
ぬくもりを感じたくない?
抱きあって わけあって
ひとつになるから 生きていけるの

 

夜空に花火は消えて 静けさばかりが覆う
浴衣の柄を褒めるのは ちょっと遅すぎるかもね?

曲がり角まで来たら 「明日またね」と笑う
あなたの声をもっと聴いていたいから お道化てみせる

夏は嫌いさ だって あなただって
ぬくもりを感じたくない?
触れあって あたためあって
ひとつになるから 生きていけるの

ありがとうと呟いて 瞳を閉じて あなたを感じているのよ
唇が重なりあって
永遠の海が ふたり包むの

蝉時雨

Music Video「蝉時雨」

Lyrics/Composed/Arranged/Movie:Chihiro

-- SpecialThanks --

<Vroid 衣装、パーツ>
月輪熊の谷/熊谷ノワさん(ヒロの半袖開襟シャツ)

<背景画>
ガジュマルさん(夕方の街並み)、illustBさん(マンションの風景)、デデムシさん(石畳の歩道)
イラレアさん(街角の商店)、ぶたどんさん(ビル前の交差点)、yumaziさん(待ち合わせの公園のベンチ)
fuzisawaさん(夜の歩道)、ラテすけさん(夜の並木道)

Vocal:Vocaloid MEIKO V3 / Character:Vroid-Studio、3tene
Motion Capture:カーネギーメロン大学モーションキャプチャライブラリ、Jennifer Sumbu Longeさん
StockFootage:Storyblocks