本当に自分が弱者になった時、それはわかる

和室には天井までそびえる仏壇と神棚が並び、日曜日にはキリスト教の教会へ行く。僕の育った家はそんな不思議な家だった。僕の母方の祖父母はクリスチャンで、母の僕への教育はキリスト教の影響を強く受けたものだった。さらに母は僕が生まれる頃から、仏教と神道に興味を持ち始める。だから僕は生まれた時から様々な宗教に囲まれていた。

慈悲、隣人への愛…、宗教は違えども、同じようなことを言われる。園児や小学生にむずかしいことはわかるはずもなく、幼年期の僕は、ただただ「人にやさしく、思いやりを持って接しなさい」ということだけを理解していたように思う。

自らの体験で学んだものではない。その刷り込みのような思いやりが段々と偽善に思えてきたのは思春期から成人に掛けてのことだった。血気盛んな10代から20代前半の若者には、祖父母や父母の背中だけでは腹に落ちるほどの納得感は得られない。いや、むしろそれが真実で、人は自ら体験したことしか心底は理解できないものだ。

それから何周もまわって、何十年という時を経て、僕はまた同じ場所へ帰ってきた、今度は正真正銘の自分の実感として。

本当に自分が弱者になった時、それはわかる。独立して、資金繰りに困り果てた時、手を差し伸べてくれた人…。コロナ禍でレギュラーの仕事がほとんど止まった時に新しい仕事を振ってくれた人…。そして何よりも、激しい動悸と息切れの中で生きることをあきらめてしまいそうな時、やさしく言葉を掛けてくれた人…。自分がどれほどダメな人間かを突き付けられて、それを自分自身が受け入れた時、僕はそれを理解したのだと思う。

誰もが関わりの中で生きていて、その関わりが断たれた時、訪れる死。この世界で生きていく怖さを知り、臆病になった時にはじめてわかる、慈悲の心。

雨が土に沁み込むように、すべてを受け入れられたらいい。そこまでやさしくなれなくても、どんなに自分と意見があわない人間でも、その人をそうさせてしまう背景を想像できる人間でありたい。最近は、霊魂だけがゆらゆらと立ち並ぶ光景を社会に重ねてみてしまう。強い人なんていない。誰もが弱い。ただお互いに干渉しあいながら明滅しているだけの灯り。ひとつでは灯ることのできない灯り。